2009 年 6 月 9 日
昨日の友達の作品の後で、大変恐縮ではございますが
ワタシが生まれて初めて(そして最後になるかも。。)作ったバック?手提げ袋・・。
リコが小学校へ入学するときに、必要に迫られ必死に作ったものです。
まったく手芸とは縁遠かった(というか超ニガテ)なくせに
とてもポピュラーだった、キルティングの物がどうしても嫌で
がんばろうと思える本を探すところから始まりました。
おかげでステキなリネン地にアップリケや刺繍を施す
文化出版局 井上由季子さんの「入園入学の品ぞろえ」に出会い
身の程知らずと知りながら、人様の3倍いえいえ!5倍は時間を費やし、挑んだのです。
アップリケを一刺し一刺し付けていく作業は、思いも込められてほっこりできるいい時間だったのですが
当の本人。。「シナモンがよかったなぁ~~リコチン以外はみんなキャラクターやでぇ」とのこと。
それでも四年生の今までがんばってもってくれました。
が!そろそろ老朽化が進み 持ち手もだんだん無残な姿に・・・
二代目をせがまれておりますが、とても同じようなものを作る気力はございません。
きっとワタシの精一杯を使い果たしたのでしょう。《笑》
そして何故かワタシよりずっと器用なリコ。似なくてほんとよかった・・
実家の母のレクチャーを受け、本人にしてもらったほうが早いかもなぁ☆
ほんとにワタシ、お裁縫が苦手で特にミシンが大っ嫌いだったので
(当時から足踏みはOK! 電動はスピードについていけなくて挫折してた《恥》)
嫁入り道具にも入っていなかったくらいです。
母の名誉のために書きますと。。時代もあるでしょうが 母はいわゆる何でも出来る人でした。
カーテンに座布団、子供服、テーブルクロスはレース編みで・・
と家中 既製品はないんじゃないかというくらい母の手作りばかり。
特にお洋服はすごかった☆
何冊もある「こどもブティック」という雑誌からどんなのがいいか 二人で相談し
生地屋さん、ボタン屋さん、手芸屋さんと はしごします。
そして採寸をしたら新聞紙で型紙を作り、布を裁ち
しばらくすると、足踏みミシンが同じリズムでカタカタなり始め
ボタンホールはダイスキなボタン屋さんへ開けてもらいに行くのです。
かわいい飾りボタンが、きちんと箱に整頓され 棚にたくさん並んでいるのが嬉しくて
ずっと眺めてたなぁ・・ボタン屋さんはわたしの一番のお気に入りでした。
結婚してすぐの頃、洋裁をしてる人の作品を見せてもらったとき・・
「どこのボタン屋さんでホール開けてもらったの?」と聞いて 大笑いされたことがありました。
そう、、電動ミシンってホールもしてくれるんですよね・・・当時の私は大ショッッキングでした。。。
そんなことまでしてくれる電動ミシンに感動したわけじゃなく
出来上がる少し前の作品を風呂敷に包んで大事に持っていき ホールを開けてもらう・・
そういうステキなやりとりが今はないんだぁ。。と知って、ほんとに淋しかったのです。
ワタシの大好きだった、小さくて暗いボタン屋さんはきっともうないと思うけど
入り口の古いガラス戸を開ける音は、今でもちゃんと覚えています。
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